The Story ofMichinoku Gold

平泉町

日本史の表舞台、みちのくのエル・ドラード

伝説の都「平泉」の夢は、徒歩(かち)にてその跡をかけ巡る

東北地方は「みちのく」の名前の通り、どうしても自他ともに「辺境の地」と認識しがちだ。だが、「平泉」という響きには、東北人にとっては奥州藤原氏の栄華の誇らしさや、松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」に代表される寂寥感が混在した、不思議な存在感があると思う。
「奥州の金」と聞いた時のイメージは、中尊寺金色堂に象徴される「平泉文化」の印象が圧倒的に強いことだろう。源義経や武蔵坊弁慶、そして源頼朝など、誰もが知る日本史のヒーローたちと共に登場する、北方の豊かで強大な地。そして忽然と姿を消した、平安末期のエル・ドラード – 黄金郷。この地にかつて「日本史のメインステージ」になっていた時期が、確かにあったのだ。

平泉町まちづくり推進課提供

取材当日、最初のスタート地点は「道の駅 平泉」から。2017年にオープンしたまだ真新しい施設だ。ここでは、地域の特産品を購入や、地域産品をふんだんに使ったレストランでの食事もできる。すぐ目の前は「柳之御所跡」や徒歩10分ほどで「無量光院跡」があり、国道4号線平泉バイパスからも入りやすいので、車での来訪者には良い拠点だろう。

子どもの頃から何度も訪れた平泉だが、今回は外国人ライターと共にガイドさんの誘導で廻る。日本史の基本を押さえた流ちょうな英語での解説は、これまで単に物見遊山に終わっていたいつもの訪問とは違い、まるで歴史の屋外授業のようで新鮮だ。

無量光院跡から北西へ350mほど行くと、「高館義経堂」への入り口となる。ちょっとした坂を上り、途中で参拝券を買ってさらに数分登ると、目の前に束稲山(たばしねやま)を背景に北上川が流れる雄大な景色が広がる。ここがかの源義経と武蔵坊弁慶の終焉の地と言われる「高館」。激しい戦いがあったはずの場所だが、とても風光明媚な場所で、そのギャップに驚く。

その戦いから約500年後の1689年(元禄2年)。元禄文化の真っただ中の江戸から、一人の俳聖がこの地を訪れている。「夏草や 兵どもが 夢の跡」を詠んだ、かの有名な松尾芭蕉だ。私たちからすれば江戸時代も鎌倉時代も「同じような昔の話」だが、松尾芭蕉が平泉に訪れた時代は今からざっと330年前。つまり、松尾芭蕉は現代から我々が想像する江戸時代よりも古い、遥かなる「いまはむかし」の物語を想像して、ここまで徒歩でやって来たのだ。

そして義経堂から徒歩15分ほどで、いよいよ中尊寺となる。もしも馬だったら、5分かかっただろうか?あの悲劇の戦いが、こんなに中尊寺に近いところで行われていると思うと、少し不思議な感覚だ。

中尊寺は「金色堂」があまりにも有名で、「みちのくGOLD浪漫」を最も象徴する存在だが、実は今回一番印象に残ったのは「白山神社能舞台」。1853年(嘉永6年)に伊達家によって再建された、近世建築の能舞台では東日本唯一のもの。「伊達家」。そう、ここ平泉は江戸時代にはあの「独眼竜正宗」を藩祖とする伊達家の領域で、実際に現在も行われている能舞は1591年(天正19年)に時の関白豊臣秀次と伊達政宗が観覧したのが始まりとか。

奥州にて日本で初めて金が発見されて400年後にまさに黄金楽土が実現し、その400年後に伊達政宗がこの地で能を見た。さらに100年後に俳聖が訪れ、その160年後に能舞台が再建。そして170年後の今に至る。単に時系列を書き連ねるだけでも、まるでタイムトラベルのような感覚になり、驚く。時の流れを静かに、しかし壮大に巡るのが、ここ平泉の奥の深さなのかもしれない。

もう一つ、中尊寺で驚いたのが、ここで良質の「ランチ」が楽しめるということ。もし平泉に来てランチタイムを過ごすなら、中尊寺の寺域内にある「かんざん亭」がお勧めだ。「とろろそば」や「とろろうどん」が人気のようで、「とろろ」は餅にも入れたりするそうだ。数十種類の餅を祝いで供する一関市をはじめ、この一帯は日本屈指の「餅文化」の地でもある。また最近の平泉では、地場の自然薯が「押し」らしい。そこで「自然薯のピザ」を注文。中尊寺でピザ!その組み合わせの意外性が楽しい。

お腹もいっぱいになって、再び中尊寺の麓に戻ると、工芸品を始めとしたショッピングが楽しめる。特に興味深いのが「秀衡塗」。秀衡塗は実は藤原秀衡の時代から存在したものではなく、その時代から中山間地で連綿と続いてた木工や漆器加工を明治初期に「再解釈」し、昭和の初めに「再発掘」することで新たに創り出したものだということ。その数度のアウフヘーベン(止揚)を経て、現在に至る100年以上顧客のニーズやウォンツに応じて変化してきたダイナミズムが、秀衡塗の精神的な「伝統」なのかもしれない。秀衡塗は事前に予約すれば、中尊寺からほど近い翁知屋の「うるし塗体験工房 KURAS」で体験できる。

中尊寺から信仰の山「金鶏山(きんけいざん)」を挟んで南側に位置するのが、奥州藤原氏2代基衡が再興した「毛越寺」。平安様式を今も残す「毛越寺庭園」が有名だが、かつて存在した多数の伽藍の礎石後にも注目したい。これらを回るのにとてもお勧めなのが、スマホを使ったアプリ「世界遺産音声ガイド SkyDesk Media Trek」だ。スマホのGPSと連動して、あたかも博物館の中の音声ガイドを使っているように、解説を聞くことができる。

SkyDesk Media Trek

世界遺産 平泉(PDFダウンロード)

もしJR東北本線平泉駅から平泉探訪をスタートするなら、レンタサイクルがお勧めだ。
平泉は平安時代に作られた都市だから、柳之御所跡や無量光院跡、高館の義経堂や中尊寺などが、実は徒歩圏内に密集している。これだけの大伽藍、大規模施設が密集していた様は、さぞかし壮観だっただろう。しかし、現代人の我々にとって、それらを徒歩ですべて回れるのは、相当歩きなれた健脚の方だけかもしれない。レンタサイクルは、現代人の我々の移動を助けてくれる。
このレンタサイクルのシステムは面白い。自動販売機で自転車のカギを借り、使い終わったら元の位置に戻してカギをボックスに返却する「セルフ方式」なのだ。桜の花咲く春や紅葉が美しい秋など、是非とも利用されたい。

ついつい平泉は東北人でも中尊寺や毛越寺を行ったきりですぐ帰ってしまいがちだ。だが松尾芭蕉が徒歩で回ったように、歩いて、或いは自転車で、「自分の足」で時間をかけて廻れば、そのかつての栄華に思いをはせる時間も十分に取れるだろう。

Location平泉町

Writer
笠間建
宮城県仙台市生まれ。株式会社communa所属。ライター/マーケッター。今回のプロジェクトでは、全ての日本語のTravelogueを担当。趣味は写真撮影。

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