The Story ofMichinoku Gold

石巻市

物語のはじまりから見護り続ける神々のおわします島

みちのくの黄金文化を象徴する「約束の地」より希望と夢を未来へ

宮城県石巻市の牡鹿半島東端に浮かぶ金華山は、神職以外の一般人が住んでいない「聖域」であり、本州の極東という「世界の果て」のようなその位置も相まって、地元の宮城県民にとってもちょっとした「異世界」だ。島全域が黄金山神社の神域とされ、出羽三山、恐山などと並び称される東北を代表する霊場の一つ。江戸期には金華山を信仰する人々による「金華山講」の広がりとともに、弁財天を祭った金運を招く現世利益の聖地として知られるようになり、交通の発達していない時代にもかかわらず金華山道を経て、年間数十万人が金華山詣に訪れるほどの「信仰の島」だったそうだ。その頃には「天平時代のみちのく産金」や「奥州平泉の黄金文化」などの伝説が、既にイメージ的に金華山と融合していたらしい。現代の「みちのくGOLD浪漫」にとっては、ある意味で物語の原型になっていたとも言える。
近年においても、昭和期には信仰の島に加えマイカー文化の発達により観光などと結びつき、東北中からピーク時は年間数十万人もの参拝者が訪れる、東北最大の「流行神」だった。近隣大都市の仙台市民などにとっては、「三年続けてお参りすれば一生お金に困らない」という御利益目当てに、かつての有料道路「牡鹿コバルトライン」を中心としたドライブコースの定番として、行楽時期には毎年のように訪れた記憶がある人も多いだろう。

そんな金華山もバブル崩壊による観光業の不振や東日本大震災、さらにコロナ禍などを経て今はその「流行神」の面影はなく、日本列島と太平洋の境界で静かに佇み、聖地としてかえって神秘性を増した空間となっていた。

笠間建

2019年に日本遺産に認定された「みちのくGOLD浪漫」だが、3年後の2022年7月新たに石巻地区の「金華山詣」「金華山道」が構成文化財に追加されたニュースを聞いたとき、かつての金華山の往事を知る地元民なら、最初から金華山が入っていなかったことをむしろ意外に思うかもしれない。金華山は「金山」ではないのか?

黄金山神社の公式の由緒には、

「この史実は、我が国最初の産金として有名なことであり、この祝事に因み、天平勝宝2年牡鹿連宮麿等が相議り国守に請願し、秀麗の地金華山に金を司る金山毘古神 (かなやまひこのかみ)・ 金山毘賣神 (かなやまひめのかみ)を奉祀し神社を創建したのが、金華山黄金山神社であります。」

とだけ伝わり、実際の金の産出地については記載が無い。

金華山は何度も戦火や火災を受け、明治期の神仏分離令を経たため多くの記録が失われており、実は謎の多い島でもある。奥州藤原氏の帰依を得て金華山大金寺となったとも、戦国時代の戦火と復興を経て真言宗の寺となったとも伝わるが、判然としない。しかし金華山以北の宮城・岩手の東部エリアは、150を優に超える金山が存在した国内最大の金産地。その事実と、修験道場にもなった金華山で修行した修験者などを通して金華山信仰が浸透したことで、江戸期には庶民にも広く知られた、みちのくの黄金文化の象徴となったようである。

笠間建

ストーリーが示したように、「第一次認定」は、奈良時代から近現代まで続いた金採掘を軸に認定されたものだ。そして各金山に眠っていた資源や、金山に携わった人々の採掘技術は、時代の進展とともにみちのく各地に拡散され、やがて世界をも動かした。

一方で、ここ金華山は移ろいゆく浮き世とは別次元で、祈りの地、祝福の地としてみちのくの黄金文化を永く象徴してきた。今回の認定は、単なる産出地とはまた別の、「浪漫」の観点から、改めて構成文化財として認定されたと言うことだろう。

そんな風に、みちのくの黄金文化の中の金華山の歴史的役割と位置づけの推理を楽しみながら、実に15年ぶりに金華山に上陸。翌朝、金華山山頂を目指すため参集殿に逗留した。もちろん神社宿泊は初めてだ。

今回も旅の仲間達はタイ人、スイス人、中国人、台湾人と多様なメンバー。

金華山の山の水を使った「入浴」時間は「潔済」として16時から17時半まで、海の幸や御神酒で乾杯する夕食は「直会」として17時半から19時まで、そして朝の「一番大護摩祈祷」は翌朝7時から・・・というように、単なる宿泊施設ではなく、それぞれが神社の「儀式」として定義されて、規則正しくこれに「参加している」という感覚が面白い。

ここは宿泊が主目的の「宿坊」ではなく、祈願が目的の「参籠(おこもり)所」なのだ。

圧巻は「一番大護摩祈祷」で、初めてその厳かな「本物の神社の祈り」の場を体験できたことに、参加メンバーは非常に感銘を受けたよう。一般的な日本人にとってもこれはとても貴い体験だが、ましてや日本を旅する外国人の旅行者の皆さんにとっては、驚くべき体験ではないだろうか。

そして「金華山詣」は、朝のちょっとしたハイキング、いや「登山」としてさらに続く。

金華山は「山」なのか、「島」なのかと問われると、意外に答えが難しい。だが答えは「金華山=島=山」とすぐ解る。標高445mの山頂に向かう一時間の道のすがらでは平地もほとんどなく、海と島と山は一体だ。日頃の運動不足の体には堪えるが、山道の急峻な部分には階段や手すりが整備されており、楽しいハイキングとなるだろう。

そして山頂周辺からの展望はまさに「パノラマ」で、東には雄大な太平洋が、西には遥か先に仙台の街や蔵王などの陸(おか)が続き、自分が今、海と陸の境界にいるのだ、という実感がじわじわとわく。

ところで今回の旅では、金華山や慶長遣欧使節のゆかりの地、復興による新しい街作りが行われている「かわまち」エリアなど、石巻市内の様々な地域を廻ったのだが、一番印象に残ったのは、今回、鮎川港と金華山の間の海上タクシー送迎を担当してくれたシードリーム金華山汽船株式会社オーナーの成田夫妻の存在だった。

往時は年間40万人が来島した金華山も、東日本大震災前には既に10万人以下の4分の1へと激減していたそうで、そこに震災で3年間一般向けの航路が途絶。日本遺産に認定されたこの年も、コロナ禍の影響で定期便は自粛中で、平日は事前予約の海上タクシーのみ。休日も一日2往復定期便があるだけで、いまや金華山は上陸そのものが非常に難易度の高い場所となった。

こうした不運も重なり、かつて金華山と鮎川港をつないだ航路会社が数年前に廃業し、そこから地域の人々に請われ、新たな航路を支えるために起業。震災復興期とコロナ禍の悪条件化に曝されたご夫妻は、だが底抜けに明るい。苦労話をまるで楽しい昔話のように語り、待機時間には港周辺のスポットへ笑顔で案内する。

そしていざ船に乗ると、出入港時の息のあった離岸と接岸作業。移動中には「甲板員」の奥さんがカモメの餌と楽しい会話で盛り上げ、一方で夫の「船長」は陸の上とは打って変わって鋭い目つきで周囲を見渡しながら操船する。

シードリーム号。二人の「夢」が詰まった、とてもいい雰囲気の船。全てのタイミングが調和するこの「クルー」は、本物の手練れだ。

津波のあの瞬間、成田船長は鮎川港で最後に津波待避出港し、津波到達時に船が転覆したように見えたことから、「帰らぬ人」になったと奥さんは覚悟したという。そのエピソードを語るとき、「でも金華山を信仰しておいて良かったよねぇ」と、まるで当たり前のことのように金華山のおかげで命拾いしたと語る。

「あの時の奥さんの『きんかさん』は、山ではなく『金華さん』と言っていたのかもしれないな。」と思うと、単なる「流行神」ではない、1000年以上続く土着の純粋な信仰の深さを感じる。その素朴な信仰心を守りながら、未来への希望を語る市井の人々の姿に、感銘というよりは感動するのだ。

三陸の美しい風景や、貴重な金華山詣体験に加え、そこに住む人々に会いに行き、その生業を見るという観光、すなわち「国の光を観る」真の醍醐味。

 

このクルーはあの震災復興期に数多と産まれた、真の「起業家」の一人。

故郷を自ら救う「勇者」。

残った「希望」。

浮世の困難を見守るように、美しく静かに太平洋とみちのくの境界線に浮かぶ美しい金華山。

彼らにとってこの金華山は、復興の最前線であり、護るべき故郷という最終防衛線でもある。夫妻の夢と希望が繋ぐ現代の金華山詣。その終着点にあったのは、今なお続く金華山信仰の「約束の地」なのだ。

「シードリーム号」を降りて再び「内地」に上陸すると、船長より「一の鳥居に行くのですか?」との声。

実は金華山の最初の鳥居は島内にはなく、その対岸の牡鹿半島山鳥地区に存在する。明治以前の女人禁制の頃はここから女性は金華山に祈り、また上陸を目指す者はその下の「山鳥の渡し」と呼ばれる牡鹿半島と金華山との間の最短の水道を渡って、金華山には詣でたとか。

かつて金華山への道のりは、現在のサン・ファン館&サン・ファン・バウティスタパークがある渡波地区から半島の浦浜づたいの船便を使って鮎川港に向かう海路と、険しい峠越えが続く陸路の金華山道の二つがあった。

今回の旅はレンタカーを借りて石巻市街地に近い「石巻市博物館」を起点に、かつての金華山道から置き換わった県道2号線を、サン・ファン・バウティスタ号が出港した「月浦展望台」や鮎川港の「ホエールタウンおしか」、「おしか御番所公園」などの観光スポットを経て、「一の鳥居」にたどり着いた。この道路が「2号線」と早い番号がふられていることが、いかにこの道が地元の人間にとって重要かを象徴しているような気がする。宮城県人にとっては定番のドライブコースとはいえ、所々三陸沿いの道路特有のカーブが続く運転注意箇所もあり、車がある現代でもドライバーとして「ついにたどり着いた」感はあった。

まして徒歩で数日掛けて「一の鳥居」にたどり着き、そこから望んだ金華山の情景への感動は、いかばかりか。

いわばこの「一の鳥居」はその「金華山道」の終着駅。

いまはうっそうとした山中の鳥居も、かつては開けて直接金華山が望めたと想像を膨らますが、今回の日本遺産登録を契機に、こうした古道やかつての船着き場を再整備しようという運動もあるらしい。悠久のみちのくの黄金文化の原点でもあり終着点でもある、石巻の金華山。そこで紡がれはじめた新たな希望の歴史たち。

 

この地の「みちのくGOLD浪漫」の物語は、まだ始まったばかりだ。

Location石巻市

トラベローグ~みちのくGOLD浪漫を巡る旅行譚~

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