The Story ofMichinoku Gold

気仙沼市

極東の港町に近代ゴールドラッシュの夢

日本屈指の大漁港気仙沼の、知られざるもう一つの物語を求めて

気仙沼も「みちのくGOLD浪漫」の舞台?日本遺産登録のニュースを聞いた時、正直そう思ったのも確かだ。気仙沼と言えば、日本を代表する大漁港。遠洋漁業の船は世界中を回り、その水揚げ種類は日本一とか。東北人にとって気仙沼は、あまりにも「漁業の町」の印象が強い。
幕末を過ぎて明治の頃、ここが世界的な「ゴールドラッシュ」の表舞台に立っていたというのは、意外と知られていないかもしれない。あるとき気仙沼は、近代鉱山史の中で凛然と輝く栄光の地だったのだ。

その発端となったのが「鹿折金山」。1904年(明治37年)に発見された、重さ2.25㎏で金の「異常な」含有量約83%の金塊「モンスターゴールド」の発見が、近代日本のゴールドラッシュの幕開けだったという。興味深いのは、採掘を行う合資会社「徳永鉱業所」の設立役員を見ると、海軍大将や陸軍大将、警視総監や大審院判事など、国の中枢を担う人物が堂々と名を連ねていることだ。鹿折金山が一時、壮大な明治な国家プロジェクトの現場だったことを物語っている。

手掘り中心だった鹿折金山から南に直線距離で約17㎞の大谷鉱山は、コンクリートの巨大な遺構が残り、産業遺産ともいうべき威容を現在も現わしている。昭和51年の現代まで稼働していたが、実は歴史的にはこちらの方が古く、記録上は平安中期まで遡れるそうだ。仙台藩の重要な財源だった時期もあり、明治から昭和にかけては近代的な採掘方法の採用により、国内屈指の金山に成長したとのこと。

残念ながら現在は採掘は行っておらず、流出する鉱物や水の管理を行っている。一般の立ち入りはできないが、麓の「大谷鉱山歴史資料館」で様々な資料を見学できる。今回の取材では、特別に立ち入り禁止区域の内部に入らせていただいた。

鉱山というものは閉山しても、「半永久的」に管理し続ければならないらしい。しかも周辺は近代鉱山になる以前の、平安時代から千年にもわたる採掘坑や、近代以降も地元の人々が掘った穴などもあり、管理会社も全ては把握することは不可能なのだそうだ。

「そうやって、気仙沼一帯の金を掘りつくしたんですね」と感想を持ったが、管理をされているスタッフの方が言うには「それはちょっと違う」のだそうだ。実はこの辺りには、まだまだ金は多く眠っているかもしれいないが、「採算が取れない」から掘られなくなった、ということらしい。

「何か技術革新などがあったり、世の中が金をもっと大量に必要とする時代が来れば、未来にはまたこの一帯で、再び金の採掘が行われるかもしれません。」

気仙沼の豊かさを象徴するもう一つは「塩」だ。かつて金が陸の道を通って内陸の平泉や仙台に富をもたらしたように、岩井崎地区一帯の塩田で生産された塩は、周辺地域一帯に貴重な塩をもたらしたことは、案外知られていない。現在は化学的な塩の大量生産の時代となって、塩田こそなくなってしまったが、「岩井崎塩づくり体験館」で塩づくりを体験できる。30分程度で気軽に体験できるため、気仙沼で人気になりつつあるアクティビティだ。

もちろん、気仙沼は塩だけではなく食べ物にも恵まれている。気仙沼といったら、やはり「寿司」だろうか。寿司ネタである魚介類と、寿司屋御用達のササニシキに代表される「シャリ」の両方が名産になっていて、しかもその地域で寿司を「地産地消」できるのは、日本国内でも宮城県の他には実はそんなにないらしい。であれば、気仙沼に来たのなら、迷わずまずは寿司を食べてみるべきだ。地元気仙沼の人に必ず勧められるのが、「寿し処 大政」だ。「フカヒレパイスープも食べて」といわれるが、カラッとしたパイの下には濃厚な味のフカヒレスープがあり、ここでしか食べられない逸品だ。

今回の旅で、気仙沼の「海の街」としての奥深さで一番印象に残ったのは、古館の「鈴木家住宅」だった。かつて漁業や醸造業、そして近代においては金山開発など、地域経済のリーダーシップを執ってきた鈴木家の矜持を感じることができる空間だ。「この地域の歴史の大半は陸路ではなくて海路がメインで、自分たちの若い頃でさえ、大島や気仙沼港には船で通っていた」という現当主の話も、印象に残る。

実は同じ苗字の「鈴木家」、例えば距離にして200㎞以上南の福島県のいわき市にも、その地域経済で重要な役割を担い、現代でも料亭を営んでいたりする。気仙沼の鈴木家もいわきの鈴木家も、熊野方面からやって来たとの伝承なのだそうだ。東北の太平洋沿岸には「アンバ(安波)様信仰」がところどころで残ってるのだが、かつて紀伊半島から移住してきた神官の末裔の「鈴木」一族が、漁法や安波様信仰の伝播に、各地で重要な役割を果たしたという説もあるとか。気仙沼の古代史も、なかなか深い。

一方で気仙沼の経済的な豊かさに加え、文化的な深さを象徴すると感じたのが、「煙雲館庭園」だ。江戸時代初期に仙台藩の茶道頭であった、清水動閑の作と伝わっている。日本庭園で伝統の「借景」の技法で、岩井崎や大島などの遠くの自然風景もデザインの一部に取り込んでいるが、実は海を借景する日本庭園は、意外に多くはないそうだ。我々宮城県の人間は、「海の借景」と聞くとついつい日本三景松島を連想してしまうが、もっとも精密な形で設計された日本庭園は、実は気仙沼に存在していたのだ。

塩、日本庭園、そして「ゴールドラッシュ」。普段我々が持っている「港町」のイメージとは別の姿がそこにあり、多様な豊かさを誇る気仙沼。他にも我々の知らない側面がまだまだありそうで、「みちのくGOLD浪漫」は「まだ知らぬ気仙沼」を発見する、道しるべになるだろう。

Location気仙沼市

Writer
笠間建
宮城県仙台市生まれ。株式会社communa所属。ライター/マーケッター。今回のプロジェクトでは、全てのTravelogueを担当。趣味は写真撮影。

トラベローグ~みちのくGOLD浪漫を巡る旅行譚~

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