南三陸町
中央と「みちのく」の交差点、そして復興最前線の現在進行形の南三陸物語
「みちのくGOLD浪漫」というコトバを最初に聞くと、どうしても奥州藤原氏の栄華を誇った平泉や、或いは奈良の大仏の礎となった最初の金が発見された涌谷など、どちらかというと東北の「内陸部」の物語という先入観を持ちがちだ。だが実際には奥州藤原氏の時代、驚くほど「海」と「山」とが密接につながっていて、「黄金文化」を支えていた事実を知ることができる。
南三陸町の北側に位置する田束山は、まさにそれを象徴する山だ。この平泉から南東に直線距離で40㎞ほど離れた標高512mの山は、奥州藤原氏の開祖藤原秀衡が信仰していた山だったという。「みちのくGOLD浪漫」の他の沿岸部の舞台となっている気仙沼や陸前高田の山々が、実際に金山が存在して金の採掘の現場になったものが多いのに対し、この田束山はまさに「信仰の山」。「ストーリー」を認定する日本遺産を、ある意味で最も象徴する山でもある。
かつては奥州を代表する大伽藍がそこあったそうだが、今やそれらの大半は土となり、山頂に800年以上残る11基の経塚が唯一それを語る。しかしその寂寥感は、かえってこの山の聖地としての神秘性を高めているとすら感じる。
もちろん南三陸町も奥州藤原氏以前の歴史を紐解くことができる。興味深いのは、そのいくつかは蝦夷側だけではなく、源義家や坂上田村麻呂など「朝廷側の英雄」たちにまつわるものも多いところだ。
上山八幡宮はその名の通り、「八幡太郎」源義家が藤原秀衡を奥州の守護として推挙した際に創建されたといわれている。この地より北が、漁師の守り神でもある「安波様」信仰が色濃くなるのとは少し異質だ。一方で上山八幡宮はこの周辺一帯でよく見られる、白い紙で作った独特の神棚飾り「きりこ」の拠点でもある。宮司の手によって作られる、この繊細な「きりこ」だが、上山八幡宮では実際にそれを作る体験ワークショップも開かれている。独自の文化を、新しい方法で伝えていく取り組みだ。
同じようにやや内陸部に入った入谷地区の入谷八幡神社は、坂上田村麻呂伝説とも関わりが深い。田村麻呂がこの地の鬼神を成敗した後、今度は悪行を重ねる蝦夷が山中に住み着き、村の人々は藤原秀衡にその成敗を願い出たそうだ。しかも派遣されてきたのは、あの源義経だというのだ。このように「中央」と「みちのく」の英雄が交じり合った伝説が多い。この地域が、蝦夷と朝廷の勢力がバランスを取っていた緩衝地帯であり、また最前線であったということだろうか。
だが、そんな歴史の考察を吹き飛ばしてしまうほど、入谷八幡神社の社殿に近づいて何より驚くのが、「オクトパス君」の存在感。本殿の横に堂々と鎮座している。「置くと(試験に)パスする」ということで、受験の合格祈願のグッズとして人気だ。東日本大震災の2年ほど前に生み出されたキャラクターで、たちまち宮城県内では合格グッズとして人気を博したものだ。入谷YES工房で一つ一つ丁寧に手作りされ、震災後は全国にもファンができている。工房では事前に連絡をすれば、見学を受け付けている。
南三陸町を語る上では、どうしても2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災と、その復興の取り組みに言及しないわけにはいかないだろう。
上山八幡宮の禰宜の工藤さんを中心に積極的に「きりこ」の情報発信と普及に努めたり、入谷YES工房が設立されたのも、東日本大震災の後に紡がれ始めた新たな歴史だ。「きりこ」や「オクトパス君」など、現在進行形で独特の文化が育まれ、生み出されいる復興のダイナミズムが南三陸町の特徴なのだ。
そうした地域の「復興」を体感する最も分かり易い場所が、「南三陸さんさん商店街」だ。地域に必要な生活日用品に加え、観光客も楽しめるような様々なグッズや料理を楽しむことができる。商業復興の力強さを体感できるだけでなく、イースター島から寄贈された本物のモアイ像が鎮座していたり、あの有名な「防災庁舎」が見えたり、さらに上山八幡宮も徒歩圏内で、見どころが多い。JR気仙沼線BRT(バス高速輸送システム)の駅もあり、南三陸町の観光の拠点にもなるだろう。
南三陸は、確かに今回の「みちのくGOLD浪漫」に関わる文化財が多いわけではない。しかし、古くから「中央とみちのく」の歴史や価値観の交差点であり、そして今は復興の最前線として、旧きを生かした新しい様々な取り組みが進行中だ。「歴史の結末」を見て周る旅ではなく、現在進行形の歴史の世界を巡りたい旅人にとっては、南三陸は最も印象深いエリアになるだろう。
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