The Story ofMichinoku Gold

涌谷町

すべては涌谷から始まった

日本の最初の金は、ここ箟岳山で発見された

「奈良の大仏に使われた金は東北産だった」という話は、宮城県民なら学校の授業などで、何となく聞いたことがあるかもしれない。しかしこの地で749年に日本で初めて金が発見されたときは、万葉集に歌が残るほど国中が大騒ぎになり、その後奥州藤原氏の時代までの400年以上、このあたり一帯は私たちが思っている以上に「ゴールドラッシュ」だったようだ。

涌谷町で最後に金が納められた記録が残っているのは、鎌倉時代だそうだ。つまり奈良時代から鎌倉時代まで。ざっと500年は採取されていたことになる。これは想像以上に凄いことだ。何となく私たちは「古代」と言うと、奈良時代も鎌倉時代も戦国時代も江戸時代も、みんな「昔」と一言でくくってしまいがちだ。だが、例えば今から500年前というと、江戸時代どころか室町時代の「大昔」。最後の記録が残る鎌倉時代の人から見ても、最初に金が採掘された奈良時代は「大昔」だと感じていただろう。しかも昭和時代まで、砂金取りを生業の一部にしていた住民がいたという記録もあるそうで、涌谷では実に1,200年以上も採取されていたことになるのだ。ちなみに日本で一番有名な佐渡金山は、1601年に開山し、1989年に閉山していて、その歴史はざっと388年。「涌谷の金」の、悠久の時の流れを感じざるを得ない。

こうした「涌谷の金」にまつわる歴史を伝えているのが、黄金山の麓の「天平ろまん館」だ。
意外と知られていないのが、この涌谷町が万葉集の歌に詠まれた「最北地」であるということ。「天平ろまん館」は、金の採取にまつわる歴史や製法などの科学的な解説、さらにはこの万葉集にまつわる展示と解説がコンパクトにまとまっていて、日本人なら誰もが学校で習った「教科書に書いてあった物語」を生き生きと理解することができる。場内マップを使ったペン型の音声解説機「音えんぴつ」は多言語対応で、展示の理解を助けてくれるだろう。

また施設内には「砂金取り体験コーナー」もあって、実際に川に見立てた大きな水槽で「椀がけ法」による砂金取りを体験できる。実はこの周辺の沢では、いまだに砂金がわずかながら流出している。地元の住人の中には今でも趣味で砂金取りをする方もいて、今後は体験ツアーとして提供できないか、検討中だそうだ。

ところで涌谷町の名物グルメは「カツカレー」。おすすめは、涌谷町でもっとも古くからカツカレーを出している「パーラー旅」さん。昭和な「ザ・町の食堂」という雰囲気で、「天平ろまん館」からは徒歩約20分のところにある。面白いのは、肉がロースではなくてヒレを使っていて、しかもこれを卵とじしてあるところ。一般的にイメージされる歯ごたえのあるカツカレーとは違い、「かつ丼カレー」と言った方が日本人には想像しやすいかもしれない。アツアツの卵とジューシーで柔らかな肉を米とカレーに絡めて食べると、絶品。涌谷町は玄米の新ブランド「金のいぶき」の一大産地で、今でも昭和を代表するあの有名な「ササニシキ」を作付けしている農家もある。米どころ宮城の中でも特に美味しいご飯が、町の食堂のいたるところで食べられる。

「パーラー旅」から15分ほど歩くと、今度は江戸時代の遺構で涌谷伊達氏の居城「涌谷城」に着く。この城内に残っている隅櫓(太鼓堂)は、宮城県内で唯一現存している仙台藩政期の城郭遺構だそうだ。天平時代から江戸時代に、一気に時代を900年タイムトラベルしたようで面白い。春の季節は城内のたくさんの桜が咲き誇り、4月の第3日曜日の桜祭りでは、東北中から馬が集まって、城の直下の江合川河畔で「東北輓馬(ばんば)競技大会」が開かれ、大いに盛り上がる。宮城県民にとっては県南の「一目千本桜」と双璧をなす、県北では最も有名な桜の名所地で、涌谷に来訪するならやはり桜の季節がベストだ。

涌谷町をめぐるには、確かにクルマが便利だ。だが天平のころは、当然人々は徒歩だったはずだ。だから各遺跡は、歩ける範囲に点在している。天平のころから鎌倉時代、江戸時代、そして現代へと悠久の時を歩きながら想像すれば、時間をかけて歩いても、歴史好きにはまだまだ時間は足りなくなるだろう。

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