江戸時代、この地域での金掘りは生活の糧として根付き、日常的に盛んに行われるようになりましたが、盛んになればなるほど長期にわたり安定した金の産出量を確保することは難しく、地域の大きな負担となっていきました。気仙沼では、鰹漁などを導入しながら金掘りを継続、やがて風を受けて出帆するたくさんの船がひしめく「風待ち港」として発展していきます。気仙沼では、山師(鉱夫)たちが拓き、支えてきた港町だと言われています。「気仙沼港と風待ちの風景」には、採金が「みちのく」の風土に解け込み、港町を発展させた歴史が込められています。