The Story ofMichinoku Gold

index

三陸地方と平泉中尊寺とのかかわりが深い観音寺に伝わる山伏が背負った笈。仏像や仏具・経典を納め、リュックサックのように使用します。全面に仏教的なモチーフが細工され、金で鍍金された優れた工芸品です。金工技術を今に伝える歴史的な工芸品です。

奥州藤原氏が神仏信仰の拠点とした田束山「寂光寺」の什物として伝世する一切経。金銀泥で経文を書写しており、平泉中尊寺に残る紺紙金泥一切経の一巻と考えられています。当時の信仰が金によって支えられていたことを理解できるだけでなく、田束山に展開した仏教遺跡群が、奥州藤原氏の影響を強く受けていることを具体にする貴重な遺物です。

奥州藤原氏が神仏に祈りを捧げる拠点とした田束山三ヶ寺(清水寺、寂光寺、金峰寺)の中央、田束山山頂につくられた 11 基の経塚。末法思想が広がっていた平安時代末期、経典を後世に残すため、金銅製の筒に入れた経典を埋め、塚を築きました。奥州藤原氏が産金の拠点とした三陸地方、気仙本吉御絵図に記載される近世金山地帯が一望できる適地につくられています。理想郷の創造をすすめる奥州藤原氏が三陸の産金地域に与えた影響力の強さを物語ることのできる重要な遺跡です。

集積した「みちのくの砂金」を溶解する際に使われた道具。溶解した金は金銅製品に使用されました。
当時の平泉には、理想郷を具現するため、産出した金を集めると共に、それを活かすための工芸技術の粋が集められていたことを示しています。

集積した「みちのくの砂金」を金粉に加工する際に使われた道具。加工した金は蒔絵や金泥に使用されました。当時の平泉には、理想郷を具現するため、産出した金を集めると共に、それを活かすための工芸技術の粋が集められていたことを示しています。

金色堂と同様に当時の装飾技術をあますことなく使う鏡箱。平泉で生産されたもので、当時の平泉には、細密工芸の粋が集められていたことを示しています。

「みちのく」の砂金をもとに築かれた皆金色の仏堂。金の加工はもとより、国内外産の物産をふんだんに使い当時の装飾技術をあますことなく使っています。造営主である奥州藤原氏は、財力を誇示するためではなく、争いのない平和で平等な世を願う理想郷を厳かな光を放つ「金」で表現しました。「黄金の国ジパング」に記載された「黄金の宮殿や民家」のモデルとなったと言われています。

Home Trip Finder