The Story ofMichinoku Gold

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石巻から金華山に向かう参詣道は「金華山道」と呼ばれました。明治初期まで女人禁制が敷かれており、女性たちは金華山には登拝せず、山鳥に立てられた「一の鳥居」から遙拝しました。現在は女人禁制が解かれ、鮎川港から直接金華山にわたることができますが、金華山道の終点である「山鳥の渡し」周辺は、「一の鳥居」やかつての船着場や古道が残り、当時の景観をいまに伝えています。

出羽三山、恐山とともに東北の三大霊場に数えられる金華山。「みちのくの金」が日本の金を代表するブランドとなっていくなかで、近世以降の金華山は、黄金伝説と結びつき信仰の聖地となり、「金華山詣」として大きく発展しました。現在も「黄金の神が坐す祈りの島」として信仰が息づいています。

涌谷町の箟岳山から産出する砂金。地層の中に砂金が堆積する二次鉱床を起源とします。日本の採金史が「砂金採り」にはじまることを明示する鉱物です。749(天平 21)年に初めて採取した砂金は、東大寺盧舎那仏の鍍金(金メッキ)材料として用いられました。

涌谷町域の中心に位置する霊峰箟岳山 (236m)。黄金沢を始めとして、砂金を産出する河川が山中を流れています。万葉歌に「小田郡(涌谷町)にある山」で産出したとあり、この山を舞台に日本初の採金事業が展開したことが明らかとなっています。

黄金山神社境内にある歌碑。聖武天皇とともに産出の喜びを詠う大伴家持の万葉歌を刻んでおり、「小田郡(涌谷町)にある山」で産出した「金」が、はるか奈良の都に運ばれ国家的な慶事となったことが詠み込まれています。「みちのくの金」を象徴する歌碑となっています。

産金を記念して建てられた仏堂跡の上に建つ神社。神社の由緒は日本初の産金時まで遡り、近世まで金を産する山自体が御神体であったと伝えられています。産金を記念して建てられた仏堂が遺跡となった後も、日本初の産金地がこの場所にあることを伝えて続けてきた由緒ある神社です。

黄金山産金遺跡に建てられた仏堂に使われた屋根瓦。瓦の形状から円堂形式の仏堂が建てられたこと、『天平』と年号を記載した瓦が含まれるため仏堂の建築年代を天平年間に限定することができます。遺跡の内容を具体にする重要な資料です。

黄金山地区にある仏堂跡。日本初の産金について聖武天皇が「神仏が祝福したもの」と宣べたことを受け、採金の現地に建立した仏堂です。日本初の産金の場所がこの地であることを確定する重要な遺跡です。

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