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日本で初めて“金”が産出されたのは奈良時代の陸奥国。古来より「みちのく」と呼ばれ、現在の岩手県や宮城県を含むこの地には、約4億5千万から1億年前につくられた金鉱脈が眠る特異な地質が広がっています。「日本で“金”は採れない」とされていた当時の常識を覆した一粒の砂金の産出は、人々の心に“金”への憧れを生み出しました。
砂金採りに始まったみちのくの金採掘はやがて地域一帯の川や海に広まり、アジア有数の産金地へと成長し、鉱石から金を分離する技術が確立されると戦国武将たちは積極的に金山開発を推し進めました。近代、最新技術の導入によって大規模採掘が可能になると、みちのくの産金は最盛期を迎えましたが、昭和後期には終焉を迎えます。みちのくの地は、悠遠な地質史をベースに1,250余年に及ぶ日本の産金史が紡がれた稀有な場所でした。
約4億5千万年前の氷上花崗岩で構成される三陸ジオパークのジオサイトの山(874m)。古くから良質な金や水晶の産出で知られ、玉山金山遺跡は氷上山の中腹に位置しています。
Location陸前高田市
気仙郡(岩手県大船渡市、陸前高田市、住田町を中心とする地域)と本吉郡(宮城県気仙沼市、南三陸町を中心とする地域)にある金山34か所を黄金色で示した近世絵図。広範囲に金資源が点在する様子がよく分かります。豊臣秀吉や伊達政宗など戦国武将たちが、金山を掌握し、積極的に採金事業を展開せた状況を具体的に示す貴重な資料です。
Location気仙沼市
川での砂金採取や、鉱石から金を取り出す際に使われた道具類。古代より続けられてきた砂金採りは、近世の御本判制度を通じ、地域の人々生活を支える生業として根付きました。また、鉱石から採取する金山についても、その稼働が終了した後も個人経営による採金事業として里の中に定着し、近年まで採金事業が続けられてきました。暮らしの中に溶け込み、息づいてきた道具です。
Location陸前高田市