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皆金色の理想郷
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みちのくの“金”。この言葉から真っ先に思い浮かぶのは、岩手県平泉町にある中尊寺金色堂ではないでしょうか。その眩さは、仏堂全面を覆う金箔だけではありません。須弥壇に使われた外国産の紫檀や象牙、夜光貝を用いた螺鈿、透かし彫りの金具や漆の蒔絵細工からは、潤沢な砂金を財源とした旺盛なグローバル交易によって、平安時代の細密工芸の粋が平泉に集められていたことをうかがい知ることができます。
しかし、“金”が果たした役割は富の象徴だけではありませんでした。末法思想の時代において、造営主である奥州藤原氏は、争いのない平和で平等な世を願い、世の中を明るく照らす理想郷を“金”によって具現しました。ゆえに、奥州藤原氏は“金“の供給地である北上山地や沿岸部の産金地を大切にしました。宮城県気仙沼市と南三陸町にまたがり、産金地を一望できる霊峰田束山には奥州藤原氏ゆかりの寺院跡や経塚群が残り、“金”の消費地・平泉とその理想郷の具現を支えた産金地との深いつながりを伝えています。
「みちのく」の砂金をもとに築かれた皆金色の仏堂。金の加工はもとより、国内外産の物産をふんだんに使い当時の装飾技術をあますことなく使っています。造営主である奥州藤原氏は、財力を誇示するためではなく、争いのない平和で平等な世を願う理想郷を厳かな光を放つ「金」で表現しました。「黄金の国ジパング」に記載された「黄金の宮殿や民家」のモデルとなったと言われています。
Location平泉町
金色堂と同様に当時の装飾技術をあますことなく使う鏡箱。平泉で生産されたもので、当時の平泉には、細密工芸の粋が集められていたことを示しています。
Location平泉町
集積した「みちのくの砂金」を金粉に加工する際に使われた道具。加工した金は蒔絵や金泥に使用されました。当時の平泉には、理想郷を具現するため、産出した金を集めると共に、それを活かすための工芸技術の粋が集められていたことを示しています。
Location平泉町
集積した「みちのくの砂金」を溶解する際に使われた道具。溶解した金は金銅製品に使用されました。
当時の平泉には、理想郷を具現するため、産出した金を集めると共に、それを活かすための工芸技術の粋が集められていたことを示しています。
Location平泉町
奥州藤原氏が神仏に祈りを捧げる拠点とした田束山三ヶ寺(清水寺、寂光寺、金峰寺)の中央、田束山山頂につくられた 11 基の経塚。末法思想が広がっていた平安時代末期、経典を後世に残すため、金銅製の筒に入れた経典を埋め、塚を築きました。奥州藤原氏が産金の拠点とした三陸地方、気仙本吉御絵図に記載される近世金山地帯が一望できる適地につくられています。理想郷の創造をすすめる奥州藤原氏が三陸の産金地域に与えた影響力の強さを物語ることのできる重要な遺跡です。
Location南三陸町 / 気仙沼市
奥州藤原氏が神仏信仰の拠点とした田束山「寂光寺」の什物として伝世する一切経。金銀泥で経文を書写しており、平泉中尊寺に残る紺紙金泥一切経の一巻と考えられています。当時の信仰が金によって支えられていたことを理解できるだけでなく、田束山に展開した仏教遺跡群が、奥州藤原氏の影響を強く受けていることを具体にする貴重な遺物です。
Location南三陸町
三陸地方と平泉中尊寺とのかかわりが深い観音寺に伝わる山伏が背負った笈。仏像や仏具・経典を納め、リュックサックのように使用します。全面に仏教的なモチーフが細工され、金で鍍金された優れた工芸品です。金工技術を今に伝える歴史的な工芸品です。
Location気仙沼市