The Story ofMichinoku Gold

知られざるみちのくの黄金伝説

5つの時代、6つの地域、そして紡がれた数多の物語へ

最初に東北地方で「みちのくGOLD浪漫」という日本遺産が認定された、というニュースを聞いた時に思ったのが、そもそも世界遺産ではなくて「日本遺産」とは何だろう?という素朴な疑問だった。
日本遺産というのは、実は個々の文化財を認定するものではない。少し長いが、文化庁のステートメントを引用しよう。
 

「日本遺産(Japan Heritage)」は地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。」

 

物や場所ではなく、ストーリーを認定する。
すなわちこれは、究極的には特定の一か所だけではなく複数のエリアで、しかも特定の時代だけではなく、複数の時代をまたぐことも可能な、とても自由な「発想力」と「編集力」が必要になるということ。

そして「みちのくGOLD浪漫」の特徴は、この「金」という物質を巡って、1,300年にもわたるストーリーがそれぞれの時代で広域に展開されているところに魅力がある。あえて時代を整理するなら、大きくは5つに分けられるだろうか?

金の発掘された1300年以上前の奈良時代。

奥州藤原氏が活躍した900年前の平安末期。

約400年前の江戸時代。

150年前の明治以降の近代。

そして戦後から今にいたる現代。

これに、内陸部の涌谷町と平泉町、三陸沿岸の南三陸町、気仙沼市、陸前高田市、そして石巻市の6つの「エリア」に分かれ、時代と空間の掛け算の立体的なストーリーを展開している。

 

丘、山、そして海などの様々な空間を縦横無尽に周遊し、様々な時代を巡る。

時空を超えたタイムトラベルと謎解きの「箱庭冒険世界」の旅。それが「みちのくGOLD浪漫」の全てのエリアを回っての、率直な魅力と感じた点だ。

涌谷町SEE MOREArticle

「みちのくGOLD浪漫」のストーリーの始まりである涌谷町は、いわゆる「観光地」ではない。であるがゆえに、実は太古の昔の痕跡を自分の足で歩いて探す、ちょっとした探求心がくすぐられる場所だ。とりわけ、天平ろまん館は「みちのくGOLD浪漫」を象徴するかのように、おそらく金の歴史を伝える上では日本でもっとも見ごたえのある施設。館内では砂金取り体験ができるが、今後は近隣の沢での砂金取りのアクティビティー化も構想されているそうだ。「みちのくGOLD浪漫」の旅は、まずは涌谷町からスタートするのが良いだろう。

平泉町SEE MOREArticle

そして「みちのくの金」を最も世間で知らしめているのは、平泉の奥州藤原氏の栄華の伝説的な存在感にあることは疑いない。実は涌谷町から意外に交通の便も良い。直線距離にして約50㎞で、車なら高速道路を使って約1時間、電車なら鈍行を乗り継いでも1時間40分ほどで到着できる。金が涌谷で見つかってから平泉が栄華を誇るまで400年ほどの開きがあるが、この距離は決して二つのエリアが無関係ではないことを示唆している。事実、「白山神社能舞台」の歴史が示すように、中尊寺は仙台藩祖伊達政宗以降伊達家の領地内にあり、江戸期を通じて金山開発に仙台藩は積極的だ。1853年(嘉永6年)に伊達家によって再建された、近世建築の能舞台では東日本唯一の「白山神社能舞台」も注目だ。

一方で今回の旅で改めて知ったのは、俳聖松尾芭蕉の存在感だ。松尾芭蕉は西行法師の500回忌を記念して「奥の細道」をスタートさせているのだが、西行法師と言えば源平の争乱の中で焼失した奈良の大仏の再鍍金のため、奥州藤原氏を頼っている。松尾芭蕉もまた、間接的にみちのくの黄金伝説に魅せられていたのかもしれない。

南三陸町SEE MOREArticle

南三陸町は、そうした栄華を誇った平泉の「北夷の王」こと藤原秀衡が帰依した「田束山」が印象に残る。興味深いのが、この町は上山八幡宮や入谷八幡神社など、蝦夷側の視点だけではなく、朝廷や源氏方の視点のスポットも多いところだ。古代における「中央とみちのくの交差点」、あるいは「最前線」を想起させる。

最近では、上山八幡宮の「きりこ体験」や入谷八幡神社の「オクトパス君」など、伝統に場で新しい取り組みが積極的に行われているところが興味深い。「南三陸さんさん商店街」に行けば、復興の「いぶき」を感じることができる。新しいことへのチャレンジを通して、東日本大震災から復興しようという「気迫」を感じることができる。

気仙沼市SEE MOREArticle

気仙沼は「みちのくGOLD浪漫」によって、最も印象が変わったエリアかもしれない。「港町」気仙沼の印象があまりにも強いが、「鹿折金山」や「大谷鉱山」など近代の「日本版ゴールドラッシュ」から昭和の現代に至るまで、確かに日本の金の歴史において主役だった時代がある。驚くべきことに、気仙沼を中心に太平洋側の宮城県北部から岩手県の南部にかけて、把握されているだけでも実に90以上の金山跡があるという。これは想像以上に多い数だ。日本人はもとより、宮城県民・岩手県民も、この地域がこれほどまで密度の濃い「金山密集エリア」だという認識はないだろう。大谷鉱山を今も管理する担当者の「本当はまだまだ膨大な金が地下には眠っていて、現在は採算性の問題で採掘がされていないに過ぎない。技術革新や金の世界的な需要などによっては、未来にまたこの一帯で金の採掘がはじまるかもしれない」という「予言」は、まさにロマンだ。

陸前高田市SEE MOREArticle

陸前高田の「玉山金山」は、そんなみちのくの金山群の中でもとりわけ伝説的であり抒情的であり、そして訪れて楽しいスポットだ。千人抗や玉山神社の伝説の裏にあった、豊臣秀吉や伊達政宗、日露戦争に備える近代日本政府など、時の権力者たちの権謀術数の舞台。そんな歴史好きの好奇心を刺激するだけではなく、実際に氷上山の水晶採り体験で体を動かす楽しみもある。「こんなに簡単に水晶が見つかるのか」と、非常に驚くこと請け合いである。

一方、今回の陸前高田の旅で特に印象に残っているのは、実は「ホタワカ御膳」こと「陸前高田ホタテとわかめの炙りしゃぶしゃぶ御膳」だ。東日本大震災をきっかけに、街の飲食関係者が共同で開発したというこの「ホタワカ御膳」。南三陸町もそうだったが、巨大災害などに街が大きく影響を受けたとき、普段温厚な東北人の隠された情熱を見ることができる。

石巻市SEE MOREArticle

石巻の「金華山」は2022年7月に「第二次認定」で加わった新たな物語だ。その歴史は古い一方で、戦火などで多くの記録が失われているため、実は謎の多い島でもある。ただ、江戸期には「金華山講」の広がりにより、金華山道(※構成文化財リンク)を通して金華山詣(※構成文化財リンク)が隆盛となり、その頃にはみちのくGOLD浪漫の原型とも言える、「天平時代のみちのく産金」や「奥州平泉の黄金文化」という、江戸時代には既に遙か昔の出来事となっていた伝説が、金華山とイメージ的に融合していたらしい。

今回実際に船をチャーターして金華山に上陸し、黄金山神社の参籠(おこもり)所である参集殿に宿泊。早朝の「一番大護摩祈祷」の後に金華山山頂まで登山をしたが、かつての庶民の現世利益を求める情熱や、修験者がこの島の隅々まで「修験道場」とした気持ちが分かる、素晴らしい経験だった。近年は漫画や映画、アニメなどのロケ地を回る「聖地巡礼」が観光でブームだが、本当の意味での「聖地巡礼」の一端を感じることが出来るだろう。

ところで、みちのくGOLD浪漫を巡る旅では、多くの人の話を聞く機会を得た。そしてもっとも印象に残っている人物は、鮎川港と金華山の間を「シードリーム号」で繋ぐシードリーム金華山汽船株式会社の成田夫妻だ。国内観光の衰退の影響で、元々金華山と鮎川港をつないでいた航路会社が2007年に廃業してしまい、その穴を埋めるため、地域の人たちに請われる形で新たに航路を担う会社を設立したそうだ。しかしその後、東日本大震災では数年完全に運休し、需要がようやく戻りはじまる頃にコロナ禍が発生し、今は平日の定期便を取りやめるなど、とにかく困難に直面中。ところが成田夫妻、妙に明るい。震災発災時の船の沖出しで命からがら助かったことを「金華さんのおかげ」と当たり前のように笑いながら言い、金華山観光復活の夢を語る。今回の各地の旅で、こんなに活き活きちと未来の「希望」を話す人は、唯一だった。東日本大震災の後に数多とあった、故郷の復興のために活き活きと仕事をする起業家達を彷彿させる。新たなみちのくGOLD浪漫の物語もはじまっているのだ。

そう、これらの6地域を実際に廻ってみて、やはり「1000年ぶり」と言われた2011年3月に発生した東日本大震災を無視することはできないと、改めて感じる。特に陸前高田、気仙沼、南三陸町そして石巻市の4つのエリアが壊滅的な被害を被ったことは、多くの日本人がまだ生々しく記憶していることだろう。

記録上もっとも古い超巨大津波「貞観津波」が発生したのが、金が発見されてから120年後の869年(貞観11年)。そのあとの超兄弟津波「慶長大津波」が発生したのが、伊達政宗による仙台開府の頃の1611年(慶長16年)。明治三陸津波は1896年(明治29年)。

現代ですらこれほどの規模の被害なのだから、昔の被害はいかほどだったか。

注目すべきは、そうした災害が発生してきた「みちのく」においても、1000年以上金の採掘は途切れることがなかったということだ。金を掘るのは生きるための生業であったろうし、復興への希望だったのかもしれない。

東日本大震災から10年を前にして、新たに日本遺産として認められた「みちのくGOLD浪漫」。時には1000年以上の歴史を新たに再発掘し、時には生き生きとしたストーリーとして改めて再編集する。今回の旅はそういったものだ。

「みちのくGOLD浪漫」の旅を通して、単に金の歴史は痕跡として残っているのではなく、先人の積み上げてきた歴史と今も受け継がれてきた豊かさを見つけることができた。そしてそこには、多くの先人の努力と英知があった。

「みちのくGOLD浪漫」が示した努力と英知の記憶と記録が、この地域の新たな復興の道しるべとして、そしていつの日か復興の象徴となることを信じている。

トラベローグ~みちのくGOLD浪漫を巡る旅行譚~

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