The Story ofMichinoku Gold

大船渡市

太古からジパングまでの「世界線」を紐解く、謎解きの旅

2025年7月、「みちのくGOLD浪漫」に新たに大船渡市の今出山、今出山金山跡、碁石海岸、大なる入り江サン・アンドレス-大船渡湾の風景-が構成要素として認定された。
宮城県北部から岩手県南部の沿岸一帯に広がる150以上の産金地は、ここ大船渡でも、奥州藤原氏の時代から昭和初期に至るまで、しっかりと東北の「黄金文化」を支えてきた。

特に全長6km、周囲は丘陵等で囲まれ風波を防いでいる天然の良港である大船渡湾は、1611年にやって来たスペイン人探検家セバスティアン・ビスカイノによって、大なる入り江「サン・アンドレス」と名づけられ、ここに「ジパング」の密やかな物語があった。

笠間建

大航海時代の船乗りにとっての夢、「黄金の国ジパング」。

当時金の産出国と知られた日本にやってきたビスカイノだが、「外交と測量目的」で大船渡にやってきたとはいえ、探検家として黄金を意識しないわけがない。

ビスカイノは1611年11月30日の「サン・アンドレス」の祭日にこの湾を訪れ、翌々日には出港するが、2日後の12月2日には大船渡湾から少し北の越喜来沖の船上で、巨大津波「慶長三陸大津波」に遭遇している。大船渡はその後しばらくの間は、「当時の震災」からの復旧の混乱が続き、金の発掘や輸送どころでは無かったであろう。

今出山の金山の目の前にまで来ていたにもかかわらず、とうとうビスカイノはそれに気づく機会がなかったのだ。

笠間建

もし、慶長三陸大津波の発生が遅れ、その後ビスカイノがじっくり調査ができたら?

もし、ビスカイノが今出山の金山の存在を知り、それを本国に報告していたら?

もし、そのまま当時の覇権国家であるスペインとの金の交易ルートが、三陸で定着していたら?

 

三陸が全世界との交易の窓となり、黄金の国ジパングが「鎖国」から逃れた「世界線」。

資源立国・貿易立国として世界と関わり続ける、輝かしいジパングの江戸時代という「世界線」。

 

ビスカイノは大船渡来訪の2年後、伊達政宗の命により日本人の手によって建造されたガレオン船「サン・ファン・バウティスタ号」にて、自らの指揮の下で慶長遣欧使節とともに石巻からヨーロッパに向け出航した。これが「正史」であり、これはこれでまた「みちのくGOLD浪漫」とは別の物語である。

笠間建

そんな「別の世界線をめぐる旅」に、台湾人、中国人、タイ人、ブルガリア人の国際色豊かな物書き達と出た。

今回、最初に訪れたのは綾里地区にある「不動滝」だった。2025年(令和7年)の2月から3月にかけて発生した「大船渡市大規模林野火災」の傷跡が所々に残る中、綾里川ダム近くの山野をかき分ける。

よく整備された山道を、クマ鈴を奏でながら学芸員の方の導きのまま歩くと、突然目の前に厳かな二つの滝と樹齢数百年はあるだろう杉の木がたたずむ「神聖な空間」が広がる。

右手に「女滝(めだき)」、左手に「男滝(おだき)」、その間の崖の中腹に、不動尊が祭られた岩窟がある。滝への上り坂の途中には気仙大工が作った東屋、地上には木造の鳥居と橋。まるで「箱庭」の中に入り込んだようで、まだまだ観光地化されていない、昨今の「オーバーツーリズム」とは無縁の素朴な空間を体感できる。

この一帯は「みちのく潮風トレイル」のコース上にも位置し、綾里駅から徒歩50分の距離にもかかわらず、訪れた当日も徒歩で巡っている家族連れの姿も。

そこから北に5kmほどに位置するのが、今回構成文化財ともなった今出山とその金山跡である。直接歩いて向かうことはよほどの健脚でなければ難しいが、盛駅までの陸路は険しいながらも「みちのく潮風トレイル」のコースでもあり、そこから遠回りで向かうのは不可能では無いかもしれない。クマとイノシシとシカに注意する必要はあるが。

その険しい山々のため、かつてこの地域は陸路での移動よりも、各浜からは海路で移動することがメインルートだったという。

今出山には古くは「馬の背によって運び、中尊寺金色堂建立に献じた」との伝承があり、室町時代末期にも砂金が取れたとの記録もある。江戸時代は仙台藩直轄として坑道掘りによる採金も行われ、「気仙四大金山」の一角を成した。

明治維新後も採金は続けられ、最盛期の昭和4年以降は機械化が進んで17本にも及ぶ坑道があっとされ、この山奥に社宅、大食堂、クラブ、毎週の映画上映などの「鉱山街」が形成されていたという。戦後の昭和30年代まで採金は続くも、やがて閉山。

いまや当時の石垣だけが残り、往時を偲ぶしかない。

この静かな「兵どもが夢の跡」を前に、鉱山で働いた人々の姿を夢想するのは、三陸エリアの金山跡に共通する寂寥感の嗜みだ。

両手の石垣は既に苔に覆われ、その間の未舗装の道は前日の雨によりまるで川の中を歩くように水は流れ、自然に還りつつあるかつての「鉱山街」。21世紀の令和の時代になっても、ここ三陸の地では自然のチカラを十分に感じることができる。

幸いここ今出山は、重金属などはみつかるものの、土壌汚染をするような状態ではなかった。

また、「鉱山街跡地」によく見られる半永久的な浄水設備なども無く、それ故に「自然に還る」のも早く、深い。昭和には索道による麓への輸送が行われ、戦時中は産金設備の一部は金属の供出などが行われたようだが、支柱などの設備跡がこの山のどこかに残っているかもしれない。

近代鉱山の閉山に至るまでの記録のアーカイブと分析は、これからだ。

今回残念だったのが、前日の低気圧による大雨と、東北地方で大きな問題となっていた「クマ被害」を予防するため、予定されていた今出山山頂への登山が中止になったことだ。

山頂からの景色は三陸の山々と湾を一望できる、絶景であるという。かつてスペイン人達が夢見た黄金の国ジパングの山上でスペイン人探検家達が船で湾に入り込む様子を上から見て想像するのも一興だろう。

ところで、今回の旅では大船渡市の学芸員の方にご案内をいただいたため、そもそもこの一帯では何故金が産出されるのか、地質学的な見地でも色々と学ぶことができた。

碁石海岸一帯は、「世界の椿館・碁石」や、船で「穴通磯」にまで近づく「碁石海岸穴通船」など誰もが愉しめる観光資源があるが、むしろ学びのフィールドとして最適だ。一帯は三陸ジオパークの一部にもなっており、碁石海岸インフォメーションセンターや市立博物館を起点に実際に地層などを見ながら周辺を散策でき、歴史やジオ好きにとっては、丸一日滞在しても飽きないエリアだ。

市立博物館と研究者の近年の努力により、大船渡市の地質は5億年以上前の古生代カンブリア紀まで、植物化石については日本最古となる4億年前の古生代前期デボン紀にまで遡ることができるそうだ。今出山金山の金鉱脈が形成されたのは約1億1千万年前の中生代白亜紀と、古生代に比べれば「最近」のことだが、当時は世界的に火山が活発化していた時期。マグマの熱によって地下水が循環し、金を含んだ熱水が地下の岩盤の割れ目を通り、石英と共に沈殿・冷却して固まるらしい。

そういえば6年前、陸前高田市では金鉱山跡の近くで石英の採掘体験をした。

この時期の地層は、海底火山の活動により海中の酸素が少なくなって有機物が溜まり、泥が黒くなって見える。これを「黒色泥岩」と呼び、大船渡周辺の地層によく見られる特徴だそうだ。

「碁石海岸」の名前の起源となった、この自然界が創り出した丸く漆黒の「碁石」のように、黒色泥岩が多く見られるということは、太古の昔は海底火山が近かったことを示す。

碁石海岸の「真っ黒で丸い石」こそが、地中に隠された黄金への道標かもしれないのだ。

「碁石」を手に取りながら、奈良時代から始まるみちのくGOLD浪漫の歴史絵巻が、突然1億年以上まで拡張されたような途方もない感覚。

 

そんな「アカデミック」な感覚を愉しんでいると、中止となった今出山登山の代わりに、学芸員の方から縄文時代晩期の重要遺跡「大洞貝塚」見学の提案が。ここから出土した土器は、東北地方全体から北海道南部まで広く分布した「大洞式土器」のルーツとされており、日本の考古学の中で重要な位置づけであるという。

大洞貝塚は気軽に誰もが見られるように解放されていて、「人為貝層」が容易に識別でき、まるでつい最近の「貝殻捨て場」(これには語弊がある)に見えるほど。うちの田舎の爺さんの家の裏に、こういう「ゴミ捨て場」があったな・・・。

そして「あ、これは縄文時代の獣骨ですね」と即座に学芸員の方が見つけてしまう。更に驚いたのが、5分もしないで縄文土器の破片を素人である自分が見つけてしまったこと。

「えええ?こんなに土器とか骨とか『散らかって』いるの?」

あたかもつい最近、縄文人がそこに捨てたのでは無いか?と錯覚するほどだ。だが今この手に持っている破片は、2000年以上前のもの。そう考えると緊張してしまい、もちろん見つけた土器の破片はそっと元に戻す。

貝塚には食べ残しの貝や魚などだけではなく、鹿の角で作った漁具や時にお墓として人骨が発掘されることもあり、私が子どもの頃に習った貝塚のイメージとは違い、一種のタイムカプセルのようなもの。

この貝塚は約3,000年前~2,200年ほど前の遺跡とのことだが、一言で「縄文時代晩期」と言っても800年間も断続的に使われてきた貝塚で、その時間の長さは奥州藤原氏の黄金時代から現代に至る時間に匹敵する悠久の刻。

1億年前にできた金を、2,000年以上前の縄文人の集落跡の近くの金山で800年以上前に採りはじめ、でも400年前に船で訪れたスペイン人は「ジパング」を見逃し、近代金山の全盛期の100年前の同時期に見つかったこの遺跡から、まだ黄金が眠っているあの山を、今、望む。

その悠久の時間の中で全てが「誤差」のように思われ、ここに住んでいた縄文人は、あの今出山から流れ出る砂金の存在に気づいていたのでは無いか?などと夢想するのは飛躍だろうか。

笠間建

新たにみちのくGOLD浪漫に加わった大船渡エリアだが、これは単に7つめのエリアが追加されたということにとどまらない。

今回大船渡を旅したことで、「5つの時代、6つの地域のみちのくGOLD浪漫」が、遙か1億年の昔から縄文時代の「太古」を取り込み、「6つの時代、7つの地域」へとさらに時空が拡張され、壮大な物語がまた新たに紡がれたことを知った今回の旅路となった。

ぜひ、多くの人々にここ大船渡で太古から続くジパングの歴史の謎解きに来てほしい。

Location大船渡市

Writer
笠間 建
宮城県仙台市生まれ。株式会社communa所属。ライター/マーケッター。趣味は写真撮影。

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